里親との出会い・交流 Bニーダーヴェルシュタット
里親とのご対面は、パーティが開かれるBurgerhausの前でした。
たくさんの里親が集合していて、到着する我々を、横断幕で迎えてくれました。
バスを降りて皆でGruß Gott を歌って挨拶をした後、里親を紹介され、それぞれ里親宅へ行きました。
ご対面
里親との交流
我々の里親はルーディさんご夫妻。ご主人は定年は過ぎたが、毎日車で |
私はThomas
Loehr氏のお宅にホームステイしました。レール氏はドイツ連邦銀行にお勤めでフランクフルトのオフィスまで約40分の通勤をされている。対面の時は奥様と17歳の息子さんが来てくれた。レール氏は仕事を早めに切り上げてこられたのであろう、家で懇談に付き合っていただいた。ほかに15歳のご子息がいる4人家族である。私が案内された部屋には男声合唱団GV.Concordia1839のTシャツがプレセントとして置いてあるのには驚いた。全員の泊まり所にあらかじめ配置しておかれた模様だ。奥様は交歓会だけでなく翌日の朝食会、昼食会の食事の用意に頑張ってくださった。 (H.Y記) |
民泊はEL2005についでの2度目となりました。 |
我々の里親はBehnkeさん。家に入ると、「弁気」と額に |
Hubert,
Hilde Schliermann家。今回で3度目のおなじみさん。パーティの後は遅かったので,お互いに疲れてすぐに休みました。奥さんは足の具合が悪いらしく,行った週の金曜日に手術をする予定とかで,観光には来られませんでした。娘にも合唱団のポロシャツを下さったが,私の子供だからきっと大きいと思ったのか,Lサイズを用意してくれていましたが,あとでSサイズと交換してくれました。奥さんの英語はわかり易いし,3度目なのでくつろげました。 (写真)左:Schliermann家。 右:Schliermannご夫妻と。 |
善利休 ドイツで茶会3回開催 民泊先で、I 津さんこと善利休は紺色の和服を着て茶道具を出しお茶の手前を披露して、日本文化を紹介しました。里親のビリーと奥様は、お茶の作法を教わり茶碗を回しお茶を飲み、すっかり気にいった様子。ビリーは製作中の日本庭園が完成する2年後に再来し茶会を開いてと。善利休は、キール、ヴェルシュタット、リンブルグで、計3回茶会を開催しました。(K.T記) |
ニーダー・ヴェルシュタットの里親は、ジミーことBernhard Brauburgerとその奥様。ジミーとは、皆さんご存じの、あの目立って五月蠅い、コンコルディアのトップテナーの彼です。前回の訪問時に、シングパーティーで斜め向かいの席に座り、会話し談笑して名刺交換も済ませ、一応面識がある積りでしたが、ブルガーハウスに到着後、里親・里子の対面式でびっくり!ドレードマークの口髭(立派なコールマン髭?)が無い、おまけにずいぶん若く見える、小太り(人のことは言えないが)ドイツ男が、俺だおれだと。えーっ!! 里子仲間の石津さんとジミーに連れられて、トランクを持ってもらって、歩いて家へ。お宅には、綺麗な奥様と、向かいの棟からジミーのお母(お婆)さんがお出迎え、家の中へ。部屋、洗面所、リビング等家の中を案内してくれました。 広い庭には日本庭園を造園中で、ジミーが手造しているとのこと。日本大好きの二人でした。土産物を渡して、品物を説明した後、部屋の戻り小休憩。着物に着替えた善利休が、食卓をお借りし、ドイツに来て2回目のお茶会を開催。ジミー夫妻は神妙な顔をして、お手前を味わっていました。 ジミーから、日本庭園は2年後に完成するので、その時また来て、お茶会を開いてほしいと、善利休に話がありました。その後、着替えて、シングパーティーへ。猫は髭を切られるとおとなしくなるが、髭を落としたジミーはパーティでは変わらず五月蠅く目立ってました。 (K.T記) |
里親のトルン夫妻は地元楽団に所属しておられ、奥さんはトランペット、旦那は小生と同じトロンボーン奏者でした。 |
会長のヘーガーファミリーが里親で,2005に次いで2回目。因みに2006来日中はこちらに一晩お泊り頂いた。皆さんより一日早く着いてその歓迎振りは別途書かせていただいた。双子の子どもMaedchen-Jungeは私の孫と同い年の12歳。すっかり大人びてたのでびっくり。パーティーでシュワルベン、コリブリスのユーゲントコアで歌っていました。(H.A記) |
■2日間の1人ドイツ旅行 |