里親との出会い・交流 @キール


      

   里親とのご対面は、パーティが開かれるBurgerhaus in Kronshagenの駐車場前でした。

     陽射しが強く、まぶしいくらいのお天気でしたが、バスを降りて皆でGruß Gott を歌って挨拶をした後、里親を紹介されて、

     それぞれ里親の車で里親宅へ行きました。

 

  ご対面

       

 

  里親との交流

 キールのバーベルさん宅への訪問は2年ぶりで2回目。
 前回はご主人は3週間の休暇を取ってギリシャにsailingに出かけていて不在でした。
 今回はご主人とは初対面。
 お土産のハッピを着てごきげんでした。
 陽の当たるテラスで簡単な英語、ドイツ語の単語で何とか話しました。

 宿泊したのは2階で、前回と同じ部屋でした。
 部屋の中のベッド、棚、置物等は前回と全く同じで、センスよく配置されており、自分の
 部屋に帰ってきたような気がしました。(Y.I記)

  

私とN氏夫妻、Y氏の4人はChor Kronshagen合唱団の
事務局をやっておられるHeidrun Schmidt女史の自宅へ案内
されました。Schmidt女史はこの合唱団でアルトを歌い、ご主
人のAlexander氏はバスを歌っておられる方でした。
家の建坪だけでも200平方メートルはあり、地下室を入れる
と300平方メートルにもなるゆったりとした家で、庭も広々とし
ています。私は2階の大きな部屋をあてがわれました。
(H.Y下 記) 
Y下団長、N宮夫妻と同じ里親(アレクサンダーシュミットさん)でした。2階建てで地下も含めると300平米(小生の団地の3倍以上)と広い為4人を受け入れてもなんら問題が無い。 ドイツ語が堪能なN宮夫妻と一緒なので、その他大勢の人として挨拶以外の苦手なドイツ語を話す必要が無く気楽でした。 各自別部屋だったので、夜のいびきの心配もありませんでした。(H.Y岸 記)

今回の旅行の交信相手Heidrun Schmidt (旦那は Alexander)氏のお宅へのホームステイは

EL2007についで2度目です。

今回はY下、Y岸両氏と共に4名にて民泊しました。(K.N記)

2年前の里親は旦那についてボストン旅行中で
新しい里親が
HartmutSchultheis(夫)&Gudrun
Netter(
妻)。
姓が違うがまだ正式結婚はこれからとのこと。
旦那は
Biologist(生物学者)でそれに特化した
ビジネスを展開、奥さんはそれをアシストしている
インテリ夫妻。
日本の企業とも取引があるようで二人とも英語は
達者。
Auf Englisch oder Deutsch?と聞かれたの
Ich spreche ein bisschen Deutsch, bitte auf
Deutsch.
と答え、会話は順調にいったと思います。
旦那がコーラスのメンバー(テノール
)で奥さんは
違う。クロンスハーゲンには半年ほど前に移って
きたばかりとの由。
いい里親でした。(H.A記)

  

里親はRichertさんご夫妻でした。
里親宅の応接室には、ビンに入った帆船がたくさん飾ってありました。
これをおみやげにもらいました。お別れの日に里親と記念撮影。
自分がすっかり忘れていた忘れ物を届けてくれた親切に感謝します。
(T.T記)

 

Imre, Maria Sallay家。指揮者の家で、ご夫妻ともハンガリー人です。Imreさんは英語が話せるが奥さんはほとんどしゃべれない。30年前にハンガリーからドイツに来たと言っていました。合唱団の指揮の他にオペラなども振るらしい。家に着いて出かけようと思ったら,何とYシャツと,名刺入れを忘れていることに気付きました。窮余の一策,Imreさんにお願いしたら快く借してくれました。Yシャツはサイズが似ていて,何とか取り繕いました。パーティの後,家に戻ると,奥さんはもう寝ていたので,娘は寝かして,Imreさんとワインを飲みながら少々話をしました。キール混声が歌った「さくら」は,前回置いて行った楽譜を,彼が混声用に編曲したものだそうです。キールのあとは土日になるのでYシャツを買う機会がないと思って,厚かましくYシャツと名札ケースをいただくことにして,お陰で助かりました。翌日,Imreさんはオルガンを弾く仕事があるとかで,集合場所まで送ってくれて早めにさよならとなりました。(T.M記)

 

キールでは、ハイデ婦人(Heide Nina Caliebe)のお宅に、お世話になりました。ハイデの家にはパートナーのヴォルフガング(Wolfgang Packeiser)が一緒に暮らしていて、二人でお世話していただきました。ハイデはクロンスハーゲンの混声合唱団でソプラノを歌っています。ヴォルフガングは歌はうたわないので専ら聴き役とのこと、シングパーティでも席で演奏をじっと聴いている様子が印象的でした。家の中での会話は、英語が話せるハイデとのコミュニケーション中心で、ヴォルフガングはいつも物静かに応じてくれました。シングパーティーに出発するまでの間に、石津さんこと善利休は、手早く着物に着替え、持参したお茶の道具を取り出し、食卓をお借りして、里親二人をお客に、お茶のお手前を披露し、日本文化の紹介をしました。 (K.T記)

                                         

 

                                                             

   


       
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