ドイツ旅行日記・5/16(リムブルグ発〜アイゼナッハ〜フランクフルト)
5月16日(土)、今日はいよいよ里親とお別れの朝です。
それぞれの団員は里親の車に旅行カバンを積み、朝9時に、Limburg にやってきた時と同じKatzentrumに集合しました。
わずか3日間の短い出会いにも、別れがあります。
里親と最後のお別れの挨拶をしてバスに乗り込むと、団員は里親が見える席に移動し、里親の姿が見えなくなるまで手を
振りました。
Katzentrumで、里親との最後のお別れとなりました。
Limburg の里親の皆さんと一緒に記念撮影をしました。
Auf Wiedersehen! サヨナラ!
バスはリムブルクからアウトバーンを時速100キロで走りました。バスの窓からはみどりの草原がどこまでも続き、ときどき
小さな集落が見られました。
←バスの車窓から見た小さな集落
2時間半後にバッハの生まれ故郷、旧東ドイツのアイゼナッハに着きました。ここは、ヴァルトブルグ城が丘の上にそびえ、
ワーグナーのタンホイザーの歌合戦の場の情景に出てくる場所だそうです。
また宗教改革をしたルターが追われて、郷士イエルクと名乗って隠れ住み、ラテン語の聖書をドイツ語に翻訳した場所でも
あるといいます。
昼食はレストラン「Alt Eisenach」でとりました。
ビールは “Eisenachee Wartburg Pils” 。 こくのある味わいの深いビールでした。
メインディッシュには、ジャガイモを原料として団子状に作った“クヌーデル”が出ました。
スープは塩辛くなく、メインディッシュのボリュームも適度で、だんだん日本的になってきました。
←昼食のレストラン「Alt Eisenach」
昼食後、バッハの生家が博物館になっている「Bach Haus」を訪れました。
←バッハ博物館の前に立つバッハの像
←バッハの像の前で
「Bach Haus」は近年、新しく建て増しされて、近代的な明るい建物の中でバッハについての展示がされていました。
バッハ時代の古楽器、バッハの生涯についての詳しい展示、バッハの音楽を鑑賞するコーナーなど、充実した展示内容に、
思わず興味をそそられました。
バッハの遺骨はライプツィヒの聖ヨハニス教会の祭壇の床に埋葬されていますが、本物かどうかを確認するために、
法医学の手法で肉付けを行ったところ、まさに肖像画にあるようなバッハの顔になったそうです。
近代音楽の父といわれるバッハの故郷を訪ねる事ができて、大変感銘し、充実した思いがしました。
←バッハの頭蓋骨と法医学的に復元されたバッハの顔についての展示
博物館の前には、大きなバッハの銅像が建っていました。
その後、バッハが生まれた時に幼児洗礼を受けたという洗礼台が残っているゲオルク教会を訪れ、この洗礼台に語りかける
つもりで「Heilig」を合唱しました。
←ゲオルグ教会
←ゲオルク教会のパイプオルガン
←バッハが生まれた時に幼児洗礼を受けたという洗礼台
バッハの故郷の風物を見学した後、16時にアイゼナッハを発ち、Wartwurg城へ向いました。
222段の階段を上ると、中世の砦を思わせる造りのWartwurg城が、眼前に聳え立っていました。
また城の上からは中部ドイツのチューリンゲン地方が眺望でき、汗が引くまでの間、休憩をとりました。
←新緑の樹々の中を行くとやがて222段の階段がある
←Wartwurg城から中部ドイツのチューリンゲン地方が眺望できる
18時にフランクフルトのホリデーイン・ホテルに到着しました。
←ホリデーイン・ホテルの前に到着
夕食はドイツ料理以外のものを食べたいというメンバーで、ホテルの近くの中華料理店に入リました。
日本で食べなれている中華料理の味ではありませんが、それぞれ好みのメニューで楽しみました。
←ホテルの近くの中華料理店で夕食をとる
食後は、ドイツの合唱団から頂いてきたワインなどを持ち寄ってホテルの一室に集まりました。
折角いただいたワインなどは航空機内に手荷物として持ち込むことができないし、さりとてスーツケースに入れて衣類と
一緒に運ぶのも、ガラス瓶が破損する懸念があリました。
ホテルで一息ついたメンバーが徐々に集まってきて、大いに飲み、ドイツ最後の夜の別れを惜しみました。
里親がおやつに持たせてくれた果物 | いただいた飲み物におつまみなどを調達 | ホテルの1室で最後の夜の別れを惜しむ |